東京都豊島区千早にて生前表千家の師範であられたお母様の遺品整理で和室と納戸に収められたいたお茶道具一式のお買取り査定をご依頼頂きました。
ご依頼主様も何が何処にあるのかわからず、ご一緒に残す物、お出しになられる物と分けながらの作業となり実に5時間を要してのお見積となりました。
※訪問は計3回、1,2回目で約5時間、3回目で1時間程要しました。
殆どが焼物陶磁器類であり、一部棚物や座卓等の家具もあり物量と致しましては軽トラック一台満載、ワゴン車一台分となりました。
新旧のお茶道具が多数あり中でも名がある品よりも骨董物がお好きだったようで一部をご紹介いたします。
【江戸期 古志野掛花入】
「古志野」
安土桃山時代頃から美濃地方で生産された陶器で、美濃焼の一種。 室町時代の茶人、志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりとされる。日本の陶器の中で、初めて絵付けをされた焼物である。 白釉に鉄絵を施した絵志野、肌が鼠色で文様を白で掻き落とした鼠志野などが 代表的である。赤志野・志野織部・無地志野などの種類がある。
当作は分厚い釉薬の立体的造形の迫力ある作品。蔓草図が土から芽生えたようなユニークな圧巻の作陶。古金具も勿論生きていて実用可能品。箱書き入り合わせ箱付。こちら一番のお買取となりました。
【楽焼 楽 吉左衛門 十二代 弘入】
「楽焼十一代 楽 慶入」の長男として安政4年(1857)に生まれ、明治4年(1871)十二代吉左衞門を襲名。大正8年(1919)剃髪隠居して弘入と号しました。
弘入は15歳で家督を継ぎましたが、幕末明治の政治の変革期であったため茶道をはじめ伝統文化の衰退した時代であり、父、慶入と共に苦労の日々を重ねました。弘入の作行きは生涯に渡って大きな作風の変化はなく、丸みをもった温和な作行きのものが多く、独特の装飾的な篦使いがみられます。
当作も丸みをもった温和な作行、緑釉の鮮やかな逸品。
ですが…残念ながら箱類等の付属欠品、かなりの使用感による釉薬の剥がれ有り状態は不良で御座いましたがそこは日本の伝統陶芸楽焼、勿論お買取り可能で御座いました。
お茶道具は有名作家物は余程の破損が無い限り殆どがお買取り対象となり有名でない作家物でも殆どお値段お付け出来ます。
お茶道具のお買取りご依頼は是非とも「きのとり」をご利用くださいませ。